コーチのプロフィール

資産再構築支援コーチ
不動産コンサルティングなぎの事務所
代表 梛野(なぎの) 憲一
1966年11月22日生まれ、東京在住。

コーチ


不動産資産家(地主・家主層)が抱える土地活用、資産承継の悩みの解消、資産を守り殖やしていくことを支援する専門家。
地主さん、家主さんが代々受け継いできた思いを尊重しながら、「稼げない不動産を、稼ぐ不動産へ」と変える仕組みづくりが得意です。

コーチ(私の青年期から独立に至る仕事ストーリーです。)
 昭和のバブル絶頂期に地方の大学を卒業しました。誰でも数社(人によっては数十社?)は楽に就職内定をもらっていた時代です。不動産絶頂期の学生時代に友人の誘いにのり取得した「宅地建物取引主任者(現:宅地建物取引士)」をきっかけに、不動産の最高峰資格と呼ばれる「不動産鑑定士」資格を取るため、「国家試験浪人」から成人人生をスタートしました。大学では、当時の消費税と同じく就職しなかった3%組と変人あつかいです。人と同じ道を歩むのがどうしても馴染めなく、将来は独立し「一国一城の主」になるのが夢でした。郵便局(勉強時間確保とバイト料のバランスがとてもよかったです。)でアルバイト(食い扶持)しながら、学生時代は決して真面目に勉強しなかった試験科目である「民法、経済学、会計学など」を必死で勉強しました。当時水産会社の役員をしていた堅実な父親に対しては、大学浪人に引き続き、好景気時代にもかかわらず再び「浪人」なったことはとても申し訳なかった思いが今も残っております。でも、いっさい反対せず温かく見守ってくれたことがとても有り難かったです。(父親が私のことを強く関与したのは成績の悪かった小学4年生の私に無理矢理、学習塾に入れたことだけです。)そして、家族の支えのお陰で、受験2回目でなんとか合格率10%の鑑定士第2次試験(第1次は学士号取得により免除)に合格、晴れて不動産鑑定業界入りしました。


そして、数年の実務経験を経て、いよいよ最終試験である鑑定実務能力を問う鑑定士第3次試験に臨みます。ところが、毎年不合格、試験内容(難易度)、実務経験内容、試験勉強量が噛み合いません。さらに追い打ちをかけることが起きます。受験中の平成7年夏、私を大切に育ててくれ、良き理解者でもあった父親が癌で他界、56歳の若さでした。試験勉強も当然、力が入らなくなり、もうこのままでは永久に「士」の称号を得ることができないのではないか、毎年合格していく業界仲間に対しても恥ずかしく感じ、はっきり言って、仕事は全くおもしろくなくなり、当時は人生お先真っ暗状態でした。

コーチそんな自分に転機が訪れます。当時上京していた業界の先輩の紹介で、おもいきって東京で働いてみないかという誘いを受け、資産家・企業オーナー向けに会計税務と不動産鑑定評価業務を専門とする事務所に入所できたのです。以前より、「東京で仕事がしたい」という願望を持っていた自分には絶好のチャンスでした。しかも、仕事内容は今までに経験した内容とは全く違うものでした。環境が私を変えたのです。仕事内容も充実、新たな職場でも良い方々に恵まれ、都会での実務経験を順調に積み上げて行きました。晴れて、上京1年目でようやく「不動産鑑定士」となることができました。ほんとうに嬉しかったです。地方でお世話になった方々にも合格の連絡をし、喜んで頂きました。大学浪人時に通っていた予備校の宣伝文句「継続は力なり」の再来でした。新しい事務所での仕事は、大都会ながら、土地の価値を評価するばかりでなく、資産家や企業経営者に対して、売買、決算、納税、企業整理目的などのための不動産評価、事務所や店舗ビルのほか、ゴルフ場やホテルなどちょっと特殊な不動産や裁判訴訟目的で賃貸物件の家賃評価(家賃評価は鑑定業界にとってはとても高度な案件なのです。)業務を経験させて頂くことができました。また、立地も都会から地方までさまざまでした。

不動産鑑定評価業務は、不動産の市場を分析し、その価値の本質を表現することだと私は考えております。一方、その裏側では、この不動産は稼いでいる、いない。稼ぐにはどうすればいいのかが評価業務をとおして目利きができてきました。(今の私の専門分野の基礎が芽生えてきます)。評価業務の経験を積み重ねる度に願望が沸いてきます。不動産評価以外に別の経験もできる環境へ飛び込みたい。

コーチそして、また「修行」のため転職することを決意したのです。当時は、平成のバブル(ファンドバブル:リーマンショックによりはじけます)に向かう時です。3回目の就職です。浪人の経験も重ねれば、転職の経験も重ねます。米系不動産総合サービス会社へ就職することができました。国内外の不動産オーナー、不動産投資家に対して、事業用の不動産(オフィスビル、店舗ビル、倉庫など)の売買及び賃貸仲介、管理、コンサルティング業務を行う大企業です。ちょうどそのころ「不動産は所有から利用の時代へ」という言葉が使われるようになった時です。鑑定評価というライセンスのほか、不動産の経営管理のスキルを身につけるために不動産サービスの本場米国の「不動産経営管理士。CPM」という認定資格を取得しました。全米で不動産オーナーに対して投資・賃貸物件の管理業務を受託し、適切に管理し、不動産の価値を上げるプロフェッショナル団体の認定資格です。「倫理」・「経験」・「教育」をとても大事にします。さて、3回目の職場は、国内外の機関投資家(大口の投資家)が投資している店舗ビルやオフィスビルの資産管理業務の仕事からスタートしました。不動産の知識も有り、十分にこなしていけると思っていました。しかし、世間は甘くはなかったです。また挫折が訪れます。日々の業務は、投資家への報告、レポート作成、現場で実際に物件を修繕や管理する方々との交渉を中心とする業務です。知識だけではとても対応できません。「仕事をまとめていく力」・「コミュニケーション力」・「論理力」・「人を納得させ、さらに共感させる力」などいわゆる「仕事術」が身についていないと業務がうまく進みません。同じチームの仲間や現場の方々には迷惑をかけ、投資家には激しく注意される日々が続きます。これほどまでに「俺は仕事ができないのか」と自分自身に怒り、嫌気がさしていた時期でした。

でも、仕事を通じて同じ会社の違う部署の方々からの支援、アドバイスのお陰でなんとか前に進むことができました。ここでも「愚直に仕事を継続、実践」していきました。もう、根性、根性です。そう言えば、思い出しました。小学校6年生の卒業色紙に「根性」と書いたことを。遠い記憶が蘇ります。勤め人最後となる会社では、不動産仲介部門への社内留学や将来のマネージャークラスを養成するために社内各部門から選出されるボードメンバーになり、「論理的思考力」、「企業戦略」など外部の人材開発・組織開発を専門とするコンサルティング会社の研修を長期間受講させて頂きました。最後は経営陣へ会社全体の利益向上のためには、組織はどう変わるべきかというテーマでプレゼンをチームで実践しました。この会社での経験は、今の私のコンサルタントとしての基礎をつくっております。とても充実した5年間を過ごしました。

そして、2008年に晴れて「一国一城の主」になることができました。これから厳しい時代を迎える不動産オーナーである資産家を元気にしたいという志を持って、今まで身につけた「知識・経験・知恵」を基に土地活用や不動産承継で悩む資産家専門の不動産コンティング事務所を開設し、日々、クライアントともに成長し続けております。

主力サービスは、社会経済金融環境、税制、不動産市場の変化(時代の変化)によって日々悩んでいる地主家主層に特化して「所有不動産の収益力の強化」を支援しています。資本家の収益力向上が地域の発展、実体経済の発展には重要であるものと信じて仕事に取り組んでおります。

肝に銘じている言葉
「明晰な目的樹立、そして狂いのない実施方法、それまでのことは頭脳が考える。しかし、それを水火のなかで実施するのは頭脳ではない。性格である。平素、そういう性格をつくらねばならない。」